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Unconditional happiness

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【2ch晒し中】


1.


 ――お願いが、あるんです。

 真剣な顔をした海にそう告げられたのは、帰宅したマスターと三人でダイニングでの夕食を終えた午後六時半頃のことだった。

 海がこんなふうに何かを頼んでくるのは、別に今に始まったことじゃない。だからマスターはいつもどおり穏やかに頷いたし、俺は黙って海の次の言葉を待っている。言ってごらんと微笑んだマスターに促されるように、海は真剣な顔のままでこう言った。


「あの……今日、どうしても観たい番組があって」


 表情と要求のバランスが釣り合ってないのも、やはり今更のことだ。けれど一年前この家に迎えられたばかりの頃の彼と比べれば、それがとても大きな変化だということも分かっている。


「もしかしてあれかな、結婚披露宴?」

「は、はいっ」

「結婚披露宴って」


 何だっけ。そう聞こうとしてすぐに合点がいった。数ヶ月前に熱愛報道と入籍発表があったとある芸能人カップル、その結婚披露宴の生中継が今夜七時から放映される予定だった。そういえば海は、熱愛報道があった頃からこのカップルを気にしているようだったことを思い出す。


「いいよ、僕もちょっと興味あったから。……紅人も、いいかな」

「ん、ああ。別にかまわない」


 正直に言えば、俺は赤の他人の結婚披露宴なんかにはあまり興味はなかった。けれど、他に観たい番組があるわけでもない。それに何より、海の希望を尊重してやりたかった。こいつは俺と違ってめったに我侭を言わないけれど、だからこそたまに何かをねだられたときには、可能な限り反対はしたくない。それはマスターも同じらしく、ついでに俺がこの家でそれなりに好き放題振舞えているのは、マスターの意向だったりする。


「ありがとう、ございます。あーくんも、ありがと」

「いいよ、気にすんな」


 ほっとした表情の海にそう返しながら、こいつが俺をあーくんと呼ぶようになったのもつい最近のことだったなと思い返す。その愛称は少しこそばゆかったが、さん付けなんかで呼ばれるよりこっちのほうがずっといい。

「もっと気楽に言ってくれていいんだけどね。どっかの誰かなんて来て三日目に夕食のメニューに注文付けてきたんだし」 

 

 マスターはそう言うけれど、そこには海や俺に対する非難の色はまったくないことを知っている。三日じゃねえ五日だと、弁解にもならない言葉を返した俺にはそうだったっけと楽しそうに笑い、すみませんと俯いた海の頭をひと撫でしてから、マスターは「それじゃあ」と立ち上がった。


「先に洗い物とか、すませちゃおうか」




2.


 そういうわけで午後七時、俺達は並んでソファに腰掛けながら、ベテラン女優と若手お笑い芸人の結婚披露宴生中継を観ていた。海はよほど楽しみにしていたらしく、食い入るように画面を見つめては時折感嘆の声を上げている。マスターがくれたアイスも、いつもより減りが遅い……というか、スプーンを持つ手は完全に止まっている。それ限定品じゃなかったか溶けるぞ勿体無いぞ、と言おうか迷う俺の手にはこれまたマスターがくれた激辛菓子の袋があり、ちなみに中身はもう半分ほど腹の中に消えている。


「新婦さん、綺麗だね」


 ふと、海を挟んで向こう側に座っていたマスターが呟いた。言われてみれば確かに、そこまで若くもないはずの新婦がこの日は妙に優美に見えた。 

 けれど、俺にはこの二人の結婚を素直に祝福できない理由があった。新郎に嫉妬しているわけではないし、他人の幸せを妬むほどひねくれているつもりもない。それはただひたすらに単純なだけの理由だった。


「……けど、どう見ても不釣合いじゃないか?」

「そ、そんなことないよっ!」


 独り言のつもりだったのだが、思わず反応があったことで視線を右側に移す。胸の前でこぶしを握り締め、真面目な顔の海と目が合った。ついでにそのこぶしにはスプーンが握られている。アイス溶けてきてないか?

 そんな俺のあさってな心配をよそに、海は珍しくも熱っぽく声を上げる。


「新郎さんすっごく真面目でいい人だよ! 毎日新婦さんが帰ってくるまで夜遅くまで待ってるって言ってたし、新婦さんの代わりにご飯作ってあげたり……年齢差とかはあるけど、でも」

 幸せになれると思う、と目を細めた海自身がとても幸せそうで、俺は一瞬返す言葉を見つけられなかった。代わりにマスターが、そうだねと相槌を打つ。


「この新婦さん、演技も上手いし綺麗なのに、今まであんまり誰かと付き合ってるとかって話なかったみたいだし。それを落としたんだから、彼もきっと魅力ある人なんだと思うよ」

「けどなあ……特に二枚目ってわけじゃねえし、飯作ってもらってるってそれただの家政婦扱いじゃねえのか? 男だけど」

「だから、そんなことないってばっ! ……もう」

 

 海が拗ねたような目をこちらに向ける。あーくんひどい、と投げられた非難に悪い悪いと返しながら、俺はなんだか楽しい気分になっていた。 

 苛めたかったわけではない。海がこんなふうに何かに夢中になるのも、ここまで必死に何かを話すのも、今までにないことだった。自己主張が苦手で、思ったことや言いたいことを内側に溜め込みがちだったこいつがここまでよく喋るようになったことが、俺にはとても嬉しかった。

 だから――たぶん、調子に乗っていたのかもしれない。忘れることも、ましてやなかったことになんて絶対にならない海の理由。このときの俺には、それを頭の片隅にでも置いておくだけの冷静さが欠けていた。


「でも、すぐ別れそうな気がするけどな……だってそもそも価値観が違うだろ」

「またそういうこと言うー」

「絶対そうだって。たぶん新郎のほうが――」


 そのうち飽きられて、捨てられるんだろ。


 その瞬間、部屋の温度が一気に下がったような感覚が俺を襲った。青藍の瞳が見開かれ、動揺に揺らいで膝の上に落ちる。黙って微笑みながら俺と海の会話を聞いていたマスターが息を飲む音を聞きながら、俺は自分がとてつもない失言をしたことに気づいていた。

 迂闊だったとしか言いようがない。俺より一年遅くこの家に迎えられる前に、こいつがどんな扱いを受けていたか。先代のマスターとの別れがどんな形で行われたものかを、知らなかったわけじゃないのに。

 今更後悔したところで、出てしまった言葉は取り消せない。ならば言い訳を探すより先にするべきことがあると、俯いてしまった頭に向かって声をかけた。


「悪い……調子に乗った」

「……」

「忘れてたわけじゃねえ、けど……お前が、そんなふうによく喋るから……いや、そうじゃなくて」

 違う、これでは言い訳どころか責任転嫁だ。それじゃあまるで意味が無い。

「……ごめん、俺、わかってたのに」

「……あーくん」

「本当にごめん、許し――」

「っ、あーくんっ!」

 

 強い口調で名前を呼ばれ、弾かれたように目線を上げる。海はまっすぐに俺の目を見ていたが、そこには怒りも呆れも、悲しみすら感じられなかった。


「……聞いて」


 マスターも、と視線を向けられた本人は神妙な面持ちで頷いて見せる。それを確認して、海はゆっくりと語り始めた。


「最初にあのお店でマスターが僕を選んでくれたとき、思った、んです。この人は何ヶ月で、僕を捨てるんだろうって」

「なっ……」


 思わず声を上げかけた俺に、海は困ったような笑みを向けた。そして、でも、と続きを口にする。


「でも、そうならなかった。マスターはたくさん笑ってくれて、たくさん歌わせてくれて……大事にしてくれました。あーくんもずっと一緒にいてくれて、引っ張ってくれた。それでも最初は僕がちゃんとしなきゃ、嫌われないようにしなきゃって、ずっと思ってて……でも、そんなこと考えなくていいんだって、やっとわかったんです。だから」


 ――もう怖くないし、平気です。

 今までに見たどんなものよりも綺麗な笑顔と、台詞。その瞬間に、俺は海を思いっきり抱きしめていた。


「え、わ、あーくんっ」

「ごめん……海、ごめんっ……」


 それだけの信頼を得ていたにも関わらず、裏切るような言葉を向けてしまった罪は重い。バカの一つ覚えのようにごめんを繰り返す俺を、海はそっと抱きしめ返してくれた。柔らかな声が耳のすぐ傍で響く。


「もういいから……辛くないって思えるのも、あーくんがいてくれたからだよ」


「海……っ」

 力を抜いたら泣いてしまう気がして、ぎゅっと目を閉じると同時に海を抱きしめる腕に力を込める。その瞬間、別の温かさが俺を包み込む。いつの間にかテーブルとソファの間に回りこんだマスターが俺と海をまとめて抱きしめたのだと気づくのに、長い時間はいらなかった。


「海、ありがとう。驚いたけど……すごく嬉しかった」


 海が首を振ったのが気配でわかる。次にマスターは俺の名前を読んだ。


「ほら、紅人。海もこう言ってるんだから、泣かないで」

「! な、泣いてねえ!」

「えっ、あっあーくん泣かないで……っ」

 そういう本人が泣き声を上げていることに少し笑って、泣かせてるのは俺かと思い直す。腕を緩めて海を解放すると、今度は正面からまっすぐに顔を見てもう一度だけ謝罪をした。


「ごめんな、海」

「ううん」


 ――あーくんがいてくれて、よかった。

 そう言って海は笑う。その笑顔はやっぱり、今までに見たどんなものよりも綺麗だった。




3.


「はい、じゃあこの話はおしまい!」


 いつの間にか番組は終わっていた。テレビを消したマスターはぱんと手を打ってそう宣言すると、俺の方を向いてその前に、と付け足す。


「紅人には罰を受けてもらいます」

「ま、マスター! そんなのいいです、いらないですっ」

「海はそう言うけどね」


 責任を取るって大事なことだよと、マスターは何故か悪戯っぽく笑う。そしてその表情を崩すことなく、高らかに俺への罰とやらを宣言した。


「というわけで紅人。明日から一週間、ハバネロ禁止令ね」

「……は? ちょ、ちょっと待て、いろんな意味で!」


 罰っていうからにはもう少し違うテイストのものを想像してた……し、それに俺から一週間もハバネロ抜いたらどうなってしまうのか予想がつかない。それでも海を泣かせた罰としては足りないくらいなんだろうと諦めたところで、そういえばうちのマスターはこういう奴だったことを思い出した。


「あーくん、大丈夫……?」

「たぶん……いや、やってやるよ。罰だしな」

「でも僕なら、一週間アイス抜いたら死んじゃう気がするけど……」

「……」


 やっぱりせめて三日にしてもらおうかと視線を移せば、にこやかな笑顔で首を左右に振るマスターと目が合った。




4.


 その後、寝落ちかけた海を寝室に送ってから、俺はマスターと二人でリビングに残った。一週間後の自分がどうなってるか知るのが怖いと呟けば、真顔でちゃんと弔ってあげると返された。


「さっきの披露宴のことだけどね」


 少しの沈黙の後、マスターがふいにそう切り出す。結局俺のせいでちゃんと見れなかったことを申し訳なく思いながら肯けば、マスターがこんなことを言い出した。


「新郎……あの芸人さんね。すごく波乱万丈の人生で、周りに誰も味方がいなかったこともあるんだって」


 テレビではあまり言わないけれど、前にたまたまそういう話を聞いたという。


「そんなときに、あの女優さんが出てる映画に……彼女の演技に元気づけられたって。これは付き合ってるってニュースになる前だったけど」

「それじゃあ、あの新郎」

「うん。きっと途方もないくらいの孤独の中にいて、あの女優さんに救われたんだろうね」


 その時初めて、俺は海がこのカップルにあんなにこだわった理由を知った。幸せになれると思う、と言った海本人が幸せそうに見えたのは、なんのことはない、そのままの理由だった。海は――幸せだったんだ。そして、だからこその「罰」。

 そう思えばなおさら申し訳なくなってくる。そのとき、マスターが唐突にこんなことを言い出した。


「今日は冷えるね。……そこで、提案があるんだけど」


 一瞬面食らいつつも、彼が何を言いたいのか察するのは簡単だった。きっと彼には負けるけれど、出来る限りの悪戯っぽい表情を作って答える。


「川の字なら条件次第だな」

「聞こうか」

「真ん中は海な。それが絶対条件」

 

 マスターは逡巡する素振りすら見せず、承ったと笑う。布団を運ぶために立ち上がった彼の後を追いながら、海は眠ってしまっただろうか、もしまだ起きていたらどんな顔で二人を迎えるだろうか――そんなことを考えた。


 

投稿者 47dp6j | 返信 (0) | トラックバック (0)

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